
2025年8月1日(金)~8月10日(日)
午睡が似合う季節になりました。
8月7日、立秋を過ぎると暦の上では秋になるそうですが、肌感覚ではとんでもなくて、夏、真っ盛りになってきたようです。見える世界もなにか薄いフィルターがかかっているようで、現実の出来事にスローモーション処理がなされているかのような不思議な時間です。
>> PM 3 : 00 ガーデンテラス <<
色調って、見るものではなく感じるもの。
❝青色から水色にかけてのウェアを身につけた憶えがない。団塊の世代だから数えて80年近くである。根が単純なのか、いい人に見られすぎるのではないかという、ひねくれた気持が根底にある。しかし、浅葱色には魅力を感じている。イタリアのターコイズ色ともイメージが重なる。午後の木陰の下で、横顔の美しい方を見かけた。ガラス越しのために三人称の世界なのに、二人称の関係から一人称の距離まで急に近づいた錯覚を覚えた。使っていらっしゃる日本の言葉も、美しいのだろうナと、納得した。❞

2025年8月11日(月)~8月20日(水)
「偲ぶ」自分が浄化される。
お盆の頃になると、毎年、思い出すことがある。「粗にして野だが卑ではない」という城山三郎さんが遺してくれた、プライドの持ち方。先祖先輩を偲ぶことと、自分への問いかけを同時に行っていることからおこる自浄作用かもしれない。
>> AM 11 : 00 ホテルサイド <<
入道雲。冷やしたトマトにかぶりつく。
❝約一ヶ月前、山口県の岩国市で中学時代の同窓会が開かれた。岩国基地が近くにあったため、小さい頃からアメリカに憧れた。仲間の悪ガキが偉い方から4番目の勲章をもらった。そのお祝いも兼ねていた。「おまえがネー」、「オレも何でもらえたのかサッパリわからん・・」という会話で二日間、飲んだ。そんなこともあったのだろう、お盆の時期になると田舎が懐かしくなる。そしてアメリカンバーガーにかぶりつきたくなる。同窓会のみんなもそうだが。昔と何も変わりなかった。やはり、基地のある街の血なんだろうと、誇らしかった。❞

2025年8月21日(木)~8月31日(日)
あの自由研究の追い込み時期ですね。
気象予報では、「9月になっても暑い日は続くでしょう」と。この温暖化ではな~と、観念しつつもあるものの、ある夜、知らぬ間に、夏の後ろ姿を見てしまうことがある。「おやっ?」と思う間もなく、次の朝は、平然と夏が居直っていたり。その悪女の深情けだけは、どうにかならないものかナ~。
>> PM5 : 00 ホテル近くの海の家 <<
されど、夏の後ろ姿を見てしまう夕べ。
❝7月~8月と、海の家をやっている知人がいる。6月になると設営が始まり、9月になると、きれいな元の砂浜に戻す必要がある。「今年は一度も顔を出していないので、ちょっと冷たいんじゃないの?」と催促された。50歳代の後 半、ほぼ週末には海の家に通っていた頃がある。後輩で、事業の相棒でもあった彼がその海の家を経営していたこともある。その彼は、ある事情から自ら命を絶った。それ以来「海の家」から遠のいた。しかし、今の彼とは関係のない話。「夏の後ろ姿に乾杯するか!」と、スパークリングワインにした。KHらしい命の絶ち方だったな~と、ワインが潮っ辛かった。❞

2025年8月のとあるある日
8月の微熱のある風景【あやうい】
バランスのいい生き方をしたいなら、あやうい生き方をしてみるといい。アンバランスの構成要素は、あやういと安定がミックスされてできている。あやうい領域を通り越すことで、バランスを整える自分の軸が見えてくる。
>> 8月のとあるある日 <<
【 あやうい 】 物や事の存立がおびやかされ、くずれ去りそうな状態。
❝視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚のどこかがくずれてもバランスを崩してしまう。あやういは五感すべての調味料かもしれない。
男のあやういは、質量のバランスを崩した時の状態によく見られる表層の状態。
女のあやういは、愛憎のバランスを間違ったときに、染み出してくる内部からのマグマ。❞