
2025年9月1日(月)~9月10日(水)
「無」って、美しい。
無重力というのだろうか。軸はしっかり保ちながら身体のどの部分にも力が入っていない状態。季節はゆっくりと次の舞台をつくりつつあるナと感じた今日、ホテルの一角で、ある絵画に入り込んでおられたお方。サングラスをはずし、見入ってしまった。
>> PM 5 : 00 ロビー <<
やっと、手紙を書きたくなった。
❝この夏、11本のサングラスを、取っ替え引っ替えしている。朝、水を汲みにいく時、ストレッチに、病院に、打ち合わせにと服装は変えるのに顔の一部である目まわりにも、それなりの配慮があっても良いのだろうと感じている。朝、30分ばかり遠くを見つめながら身体のメンテナンスをしている。夜、1時間ばかりゴルフスウィングのチェックをしている。ルーチンワークがある程度、自分の呼吸と合ってきたのか感度の純度が増してきた。今日、ドレミファまでの音階できれいな言葉を操られるお方にあった。触覚がやすらぐ秋の気配を感じた。❞

2025年9月11日(木)~9月20日(土)
昨日、秋の陽射しに出会いました。
男は恋して強くなり女は恋して弱くなる。男は愛して弱くなり女は愛して強くなる。男は大人のフリした少年であり、女は少女のフリした大人である。巷ではこんな戯言も聞こえがいい季節がそろそろ・・の残暑です。
>> PM 10 : 00 ゲストルーム <<
プライドが奔放さを演出している。
❝インサイトというマーケティング用語がある。2000年頃から表に出てきたように憶えている。「表だってはそう言ってるけど、気持ちの奥深くに潜っている本当の気持ちはどうなの?」という風に捉えている。どんな時も、この芯になる部分を見つけようとしてきたようにも思っている。「何時だって、イヤラシイ脚だナ~と言われるのヨ。どうして?」と奔放なポーズで「酔ったみたいだナ~」と倒れこまれた。白状すると、こんなイヤラシイ脚は他では知らない。でもこのイヤラシイは最上級の褒め言葉だし、プライドの証であるに違いない。❞

2025年9月21日(日)~9月30日(火)
感じやすいのも、季節が移るとき。
金木犀の香りに会うと、ヒトに会 いたくなる。このところ、できるだけ約束をしないことは守ってきているものの、どうもこの香りはヒトタラシの癖を備えているのかもしれない。「すごしやすくなったことだし、どう?」と季節のせいにする。
>> PM 9 : 00 ホテルサイド <<
詞なのか、旋律なのか、間なのか。
❝♪強くもないのにやめろよと 叱りにおいで来れるなら♪・・・と、ちあきなおみさんの「冬隣」が聴きたくなった。もっと若い頃には都はるみさんの「大阪しぐれ」。♪ひとつやふたつじゃないの 古傷は♪と始まる。『前川 清さんの「恋唄」歌ってみてよ』ともリクエストされた。♪それは無理なことだと知った♪で 、あの状況は、あーだ、こーだと分析をしたこともある。歌謡曲が似合う季節になってきた。ホテル近くのスナックに場所を変えた。前奏が始まると、何年も前の秋に舞台は変わる。やしきたかじんさんの「東京」少し、上手になったと錯覚した。❞

2025年9月のとあるある日
9月の微熱のある風景【 哀しみ 】
いまの状態よりもう一歩、艶っぽくなるために必要なのが哀しみを知ることではなかろうか。他人の心のサマを自分のそれのように感じるってことは、ココロのヒダがツルンとしていては、感じようがないはずだから。
>> 9月のとあるある日 <<
【 哀しみ 】他者のかなしみを自分のそれのように感じるはたらき
❝ホテルの1日は、人生の縮図みたいなものと感じている。ロビーを往きかう人々を眺めていると、それは表の顔であり、その裏に隠れているその方々の哀しみは見えてこない。その角を曲がれば、又、違う表情をみんな抱いているはずなのに・・。
男の哀しみは、背中に隠し泰然とし、
女の哀しみは、胸の中からとり出して見せる。❞